ドキュメンタリー映画「いのち見つめて」
~高次脳機能障害と現代社会~
・・・追っていくと 三池CO問題に繋がってた・・・
映画製作への訴えとご協力のお願い
発端は<戦後最大の労働災害>三井三川坑炭じん爆発
1963年11月9日、三井三池炭鉱の三川坑で炭じん爆発があった時、私は四山支部の労働部長でした。
午後3時12分、組合事務所にいて、天地ひっくり返るような音がしたものですから、他の支部の労働部長と一緒に三川坑に
走りました。
すでに坑口に近いところでは、多くの遺体が重なり、キャップランプの光が点いたまま横に上に闇を照らしていました。
私は暗闇の中を「ごめんなさい ごめんなさい」と念じ坑底へと進みました。
坑底には、坑夫が折り重なって山となっていました。茫然と立ったままの人や座り込んでいる人の姿もありました。CO(一酸化炭素)中毒に侵された人の姿でした。
犠牲者は、死亡が458名、CO(一酸化炭素)中毒患者が839名という戦後最大の労働災害でした。この炭じん爆発は、石炭の増産を強いた国と三井資本(三井鉱山)の人命・保安軽視が原因だと裁判で断罪されましたが、いまだに三井資本は責任の所在を認めず、犠牲者に謝罪をしていません。
CO中毒患者の症状に酷似する
<高次脳機能患者が全国60万人~70万人>
2000年にタクシー労働者である宮里幸治さんは交通事故で脳の打撲による高次脳機能障害を発症し、外傷がないことから労災認定を受けられず、労働基準監督署の局医が原因を「私病」とし、10年に及ぶ裁判闘争でしたが、敗北しました。
2005年に起きたJR福知山線 尼崎脱線事故では利益優先の為の効率化とスピード競争の激化により107人の方が亡くなる大惨事になりました。
その時の事故で5か月もの間意識不明の重体に遭われ、その後リハビリで高次脳機能障害を克服しようとする鈴木順子さん。介護を続けなければならない母親のもも子さんに負担は重くのしかかっています。
2度の落馬で高次脳機能障害を負った元JRA競馬ジョッキーの常石勝義さんの事例など、多くのの患者さんを支え励まし治療にあたってきた山口研一郎医師の奮闘の日々を中心に映画は企画構成されています。
<いのち見つめて>
そのような高次脳機能障害の患者さんの現実と接すると私には、あの炭じん爆発の光景が重なってくるのです。
たくさんの”いのち”が資本の利益優先の都合により軽んじられ、粗末に扱われ危機に晒されていると思うのです。
新型コロナ禍でも命の選別が行われています。酸欠による味覚や臭覚が奪われ後遺症が残ることも問題視されていません。
現代社会では、脳の損傷を受ける事故に何時遭うかわかりません。損傷を受けても見えないからといって、まともな医療やリハビリが受けられないのが現状です。また、救済する特別立法のような法的制度の整備もありません。
このような状況下、厚労省は、三井三池のCO中毒患者の問題は、患者さんが早く死んでしまうことで、もう終わったことだと幕引きを考えています。
CO中毒患者の問題と現代の高次脳機能障害患者さんとの結びつきも断ち切られてしまいます。今や、当時のことを知る者も高齢化や体力の衰えにより少なくなり、私自身も今回が、広く社会に訴える大きな最後のチャンスだと思っています。
<危機にさらされる大牟田吉野病院>
私たちは、2020年10月、大阪で「三池闘争60年シンポジウムin関西」を開催しました。このシンポジウムで、私たちは、確認書どおりに大牟田吉野病院の存続と、吉野病院を地域に開かれた高次脳機能障害の中核的医療センターにすることを強く訴えるシンポジウム決議を採択しました。
吉野病院には57年間にも及ぶCO患者の診療データが残されており、その中身は世界に例を見ないものといわれています。リハビリの記録等今後の医療指針ともなるべき貴重なものであります。三池闘争とそれ以降のCO中毒患者の支援闘争を闘ったからこそ残った財産だと思っています。
昨秋の三池闘争60年シンポジウムin関西におけるシンポジウム決議文を踏まえて、そこで上映した三池闘争を扱った「ひだるか」の脚本・監督の港健二郎氏に依頼して、三池CO中毒患者の支援と高次脳機能障害患者の支援を結び付ける映画製作の運動に取り組むことになりました。
この映画は多くの証言を記録し、三池CO中毒患者と高次脳機能障害の問題を社会に訴える契機になるものと考えています。何卒、関係者の皆様のご協力とご援助をいただきますよう心からお願いいたします。
映画製作委員会代表
立山 寿幸 (元三池労組書記次長)